12 Jan 2018
あけましておめでとうございます。アメリカに来てから一年以上が経ってることが未だに自分でも信じられません。今の生活で自分は本当にしたいことができているのか日々悩んでます。アメリカに来てからいろんな事がありました。晴れて大塚さんのもとで仕事をさせてもらっています。現状に不満が持てない自分が恐ろしくもありますが、アメリカに来てから英語の苦手意識が強くなりました。そのため今年は少なくともその苦手意識を払拭したいと考えてます。プログラミングもまだまだできないことやわからないことが多いものでもっと勉強していきたいものですが、今年も去年と同じく機械学習の論文を書けることを目標にしています。今年もろともよろしくお願いします。
20 Aug 2017
これはパリに関係なく休暇中で時間があるからだろうが、パリに来てから本を読む時間が多くなった。本を読むたびにもっと他の言語を勉強したくなる。やはり翻訳と原本では伝わりにくいニュアンスというものがある。それは決して翻訳の良し悪しに関係なく、一つの言語にあってもう片方にないというのがだいたいである。
01 Jul 2017
今日は「ex machina」という映画を見た。これはかなりあたりだった。Caleb Smithが働いてる会社のCEOのNathan Batemanが、彼の開発しているAIに対してCalebにチューリングテストを受けさせる話なのだけれども、いろいろ考えさせる映画だった。サイエンス・フィクションなのだけれども、大自然で実験されているので信じられないほどの絶景がでてきたりもする。なんともよく作られた話だと思う。あと、長い間読んでいた武丸政春著の「新しいウイルス入門」を読み終えた。この本もかなりいい本で、全くの基本的な知識からウイルスの話がはなされている。武丸さんの文章は、写実的で事実だけを述べているのではなく、独特な比喩表現を使って読み物として楽しめた。2013年に出版された本なので少し古いので、次は同じく武丸著の「巨大ウイルスと第4のドメイン」という本を読みたいと思う。ウイルスは面白い。気になったのが日本語の本であまりウイルスについての本がないということ、次の本を読み終えたら次は英語の本を読もうと思う。
27 Jun 2017
今日は、朝にほりけんさんとSkypeをした。嬉しくなっていろいろと話してしまった。頭の中ではいろんなプロジェクトがあってそれを話したりして自分の頭の中を整理できた。知識やスキルを維持するのはどうすればいいかということを考えたい。忘却というのは人間に備えられたスキルである。つまり忘れる事柄は本人にとって必要がないから忘れるのであり、極めて正常なのだ。では、必要がない知識は覚えないというのが本来健全な思考法だと思われる。なぜならば、いずれ忘却する必要のない知識を覚える時間があるのなら、忘却しないような知識を得た方が効率的だといえるからである。これを書いている間に考えが二転三転して、やはりこの結論に至った。そもそも、知識やスキルを維持したいと思うことが間違えているのだ。忘れるものは忘れ、必要なものは記憶するというのが大事である。記憶する前にその知識が自分にとっって重要かどうかを判断できる事が大事である。脳にはキャパシティがあるから、全てを記憶するのは物理的に難しい。記憶には段階があるが、しっかりとその段階を認識し、その知識の自分にとっての重要性をはかり、記憶の段階に分別するのが大事である。記憶について考えると、自分で考えたノートというのは記憶を圧縮している事であることがわかる。ノートを書くことによって、その知識のコンテントを記憶するのは紙やパソコンである。だが、そのノートを書いた事は脳に保存される。値そのものではなくそのポインタを保存する変数のようだ。パソコンの世界ではどちらもPCのメモリーに保存されるが、ノートを書くことによって、その知識のポインタ・アドレスだけを脳に保存することが出来る。これは脳のキャパシティの節約になる。ポインタやアドレスを比喩に使ったため、プログラミングをしない人にはとても掴みづらいアイデアだが、例えば、リンカーンの生涯を記憶するのに、全ての情報を脳に保存するととてもコストがかかるし、その全ての知識は実際に頻繁に使うことはないので忘却される。だが、リンカーンの生涯をノートに書くと脳に保存しなければならない内容は「リンカーンの生涯を書いたノートが僕の部屋にある」という情報だけなる。つまりこれがポインタである。だが、必要な時には、リンカーンの生涯を参照することが出来るので、ノートを書くというのは非常に効率的な知識の保存の仕方であることがわかる。
16 Jun 2017
最近色々なことが起こりすぎて書くことが多いが、書いてこなかった。短くも久しぶりに自分の人生の事を考えた期間だった。このまま順調にいくと、おそらく大学を中退してKakaxiという会社に入社できそうだ。これ以上に満足のいく結果はない。本当にコミットしたいと思う会社に全力でコミット出来ることややりたい放題やっている僕を理解し応援してれている親や僕は、非常に運がいい。僕の18年間生きていた中で、師匠が何人もいた。はじめて師匠と呼べる人ができたのは、西成の天高ゼミという塾の塾長の泉先生と藤田先生だった。僕の人生の指針はこの二人の先生の哲学に合わせていった。数学も歴史も科学もならったが、その塾では何よりも人生を学んだ。お二人の先生方を見て、真似をした。塾を大きくする事などまるで興味がなく、生徒の成長が塾をする楽しみであるとおっしゃった。これを聞いて、有名な人や大金持ちの人は二流だな、こういう人達が日本を根本から支えている一流な人達と考えたこともあった。そういう意味では、今の僕の「Vision指向」は天高ゼミの教えの影響かもしれない。その次の師匠は僕の叔父である。それまでもとても可愛がってもらっていたのだけれども、めんどくさいおじさんでしかなかった。だけど、おじさんの建設会社にアルバイトとして働く時に、やはり僕の人生の指針は動かされた。その環境・人・情景・匂いを今でもよく思い出す。きっと今の僕の「ものづくり」に対する異常な執着・過剰ともいえる評価はここが基盤になっているのであろう。僕の父親もある意味で師匠だったのかもしれない。父の子供だから当たり前なのかもしれないが、今の僕の思考法というのはとても父親から学んだことが多い。というのも、大阪に月に一回帰ってくる父は桃太郎電鉄しかやらない。そこで、僕も一緒になってよくやっていたのだけれども、そこでの勝つための戦略や思考法、いわば勝利へと続く道を見つけるための思考というのだろうか、そういうものを学んだ。だが、面白いことに価値観・人生観というのが父とはまるで違う。今考えると、人生観は天高ゼミで、価値観を叔父のもとで指針づけられたからかもしれない。そして、今シリコンバレーにいて、大塚泰造さんにお会いした。僕の次の人生の指針となるのはこの人で、僕はついていきたいと思う。貪欲に学び続けたい。
05 Jun 2017
中学生3年生の時に文学少年に憧れた。東野圭吾の変身から始まり、太宰治を読み、わかりもしない芥川龍之介を読んだ。或阿呆の一生を読み、こいつは阿呆だと嘲笑した。人間失格を読み、こいつは人間失格だとあざ笑った。正直、ゲームをしている方が百倍楽しかったが、僕の中の文学少年はゲームなんかには興味がなかった。やがて、憧れていた文学少年は僕の一部になってしまった。少し前の中学2年生の時は、アインシュタインのような理系の天才に憧れた。塾に行き、クラスの中でもっとも勉強ができない僕は、塾でトップ子にテストの点数で負け腹を立てていた。毎日毎日、偏差値40のバカは、偏差値70超えているような顔をして自分を理系の天才だと思い込み塾に通った。やがて、僕の偏差値は70になり、最後の受験では数学だけではあるが塾でトップだった子に勝っていた。単純バカこのように周りに迷惑をかけては得をし成長する。
04 Jun 2017
権利というものは常に、努力により勝ち取られて来たものでありそれを保持するための責任も所持者に帰せられるものであったが、現時代の大衆の人としての権利というものは、一部のものたちが勝ち取り大衆に与え、彼らはその弱さを武器にそれを保持しているのである。人としての権利を得るためには、何ひとつの努力も必要としなくその保持に関しても与えられるものである。歴史上は政治のような人類の存続に関わるような権利は勝ち取るものであった。大衆の権利は泡の膨れ上がり続け、一国の政治に関与することも可能になった。というのは、「大衆の逆襲」であるが、ここで面白いのは一体全体どうして、大衆が努力もせずに、もともとは非常に高貴であった権利を獲得でき、なおも保持できているのかということである。非常に不思議であり、僕の人間観ではとても説明がつかないことであるが、今は原因ははやり、弱さを強さに出来るこの価値観の構成に起因するように思える。権利を与えられるべき弱さと権利を与えられぬべき弱さの間の線引が曖昧でありながら、権利を与えるべき弱さの主張が受け入れられたとも言えるだろうか。
01 Jun 2017
人はしなければならないことが多すぎてパニックになる。いくつも同時にできればいいのだけれども、しなければならないことの多さが精神が折れてしまう。よく言われるのは、一つ一つそれをこなすことだけど、と言ってもなかなか難しい。5月病というのもそういう原理で、しなければならないことが複数できてしまうと人はダメになる。一つ一つ、しなければならないことが出来るたびにそれを解決できればいいのだけれども人というものはそんなに簡単ではない。やる気であったり、環境であったりどうしてもタスクが溜まってしまう。一つ溜まると、悪循環でますます溜まってくる。そこから一つ一つ順序立ててするのは大変である。一つのことをしている時に、どうしても次にしなければならないことができてしまったり集中しにくいものである。一つ一つ終わらせるというのは、物理的な話ではなく精神的なことであるのを決して忘れてはいけない。課題ができないことは、決して物理的にできないわけではなく精神的にできないと思ってしまっているからである。世俗的に言えば気持ちで負けているのである。心理学的にも人は高すぎるゴールに対してやる気がでないのである。その現象が出てしまっている。解決方法はゴールを届く範囲に設定すること。遠くは見ても考えてもいけない。全てを終わらせようと思ってはいけない。そのうちの一つは終わらせることをゴールとするのである。その時の精神の持ち方としては、最終的にすべて終わらせるためにコツコツやると考えては心はやはり折れる。溜まってしまったものは仕方がない。と割り切った態度で目の前の一番できそうな課題に集中してしまう。人というのはそんなに強くないのである。自分に甘く生きた方がよっぽどうまくいくものである。
30 May 2017
今日は特に何もしてない一日だった。僕は昆虫学者が好きだ。正確には昆虫学者ではない人が多いのだけど、プロレベルに昆虫が好きな人というのはどうも、気の合う性格や哲学を持ち合わせていることがおおい。例えば、動物行動学者の日高敏隆さん、解剖学者の養老孟司さん、生物学者の福岡伸一さん、生物学者の池田清彦さんなど昆虫好きの学者の著作は非常に興味深い。日高さんは「世界を、こんなふうにみてごらん」という本当に素敵なものを書いている。他にも多くの本を書いているが、僕はこの薄い本に感激を受けた。動物行動学者としての世界のみかたを書いた本とでもいうか非常に一言でまとめるのは難しいのだけれども、非常に薄い本ですし読んでいただいたら良さがわかります。他の方も、養老孟司さんは「バカの壁」、福岡伸一さんは「生物と無生物のあいだ」、池田清彦さんは「どうせ消え行く我が身なら」などの、本を出版しているのでよろしければ読んで頂きたい。そして、僕に連絡をください、是非その本について話し合いたいです。
29 May 2017
あんじゅがサンフランシスコに来てるということで、昨日ぐらいにサンフランシスコに行ってきた。サンフランシスコには、アルカトラズ島という社会のルールを犯した者達の中のルールを犯した者達が格納される、有名な刑務所がある。それなりに近くに住んでいるくせにそんなことは全く知らなかったので、あんじゅたちと一緒にまともな観光できて非常に楽しかった。色んな所を歩き回り、あまりお金を使わずにいたのにあんなに楽しかったのはやはり、友達に会い喋るということが目的であるからという事を再認識し、お金がないと楽しくない自分は寂しいものである。とは言うものの、僕のような人間はお金がないと人生を謳歌できないような人の典型で、そんな人の話をずーと聞いてくれるアンジュには尊敬し、感謝している。人生を楽しむためには、一緒に楽しむ人がいる必要がある。自分というものは、他者から認識されはじめてなりうるものであり、人間である限り一人で楽しむ人生はこの世に存在しない。一緒に人生を楽しむ人、いわば友人・恋人と言うものはいかにして作るのか。いくつもある中で、人としての魅力を売りにして、人徳を勝ち取るというのは、やはり高級なものではないだろうか。僕のような、根が暗く、不真面目な嘘つきというのはとても人としての魅力があるものではない。そういう人は、Give&Takeで友人や恋人を勝ちとらなければならない。一番わかり易いのはお金だろう。恋人になればとびっきり高級なものが食べさせる、ということである。このようにはっきりと言葉にだせば、明白にその行為が以下に低俗であるとわかるが実際、世の中の大半の人間はこのようにして社会的には生きている、何も恥ずべきことはない。だがしかし、やはり自分の人としての魅力のみで出来る人間付き合いというものは非常に高尚なものであり、評価されるべくものである。僕はそのような人間から最も遠い性格をしている。常に僕の周りにいる人達というのは、僕自身を評価しているわけではなく、僕の知性であったりスキルであったりステータスであったりを評価しているのである。一般的な人間社会では、このような本人に付随している価値よりかは、本人の価値が高く評価される。ので、僕はやはり友達が少ない。これはやはり、価値のある人間になるための努力に励まなければならない。
27 May 2017
父のマイルが溜まっていて、母親がリフレッシュにフランス旅行をプレゼントしてくれた。米国に来てから一番心躍る出来事だ。本当は、日本に帰国させてくれるような提案だったが、昔からフランス語を趣味に興味を持っていて、それを勉強するためにフランスに行きたいと返して見たところ、二つ返事で「いいよ」ということだった。恐らく、7月中旬から学校が始まる9月末まで行く予定で、その間にフランス語をしっかり上達させたい。お金もないので、しっかりと働きそれまでお金を貯める予定である。本当に楽しみだ。今、少しでも話せるように必死に勉強している。
26 May 2017
今まで、2016年で日記書いてた、恥ずかしい笑。今日は起きてすぐ学校に行って、興味深いJavaの授業受けてきた。先日、FacebookのFeedで食材を農家の人から買えるようなサービスを作るためにエンジニアを募集していると流れた(農家漁師から直接買える「食のC2Cマーケット」WEBエンジニア募集!)。なんて面白そうなんだ!!。僕は、そういう素敵なサービスを作りたい。本当に、こう世の中がよくなるようなサービス。スーパーで野菜を買うより、農家さんから直接頂いたほうが満足度が高いで決まっている、美味しくいただけるに決まってる。ということで、Wantedlyを通して「お話を聞きたい!」ボタンを押した。Wantedlyによると、立ち上げの核になるメンバーを少人数募集とのことだった。今の僕は一応学生でTECH::CAMPもしているのでどうしてもフルコミットは無理だったので、こういう事情だけどどうしてもコミットしたい!と連絡をいれたかったのだけど、Wantedlyの使い方よくわからないし、できなかった。お返事を頂いたのは本間 勇輝さんという方、とっても感じの良い方で、ああでもないこうでもないと考えてどきもきしながらなれない敬語でやり取りをしている間に、一度取締役の大塚さんと会ってみませんか?ということ。大塚さんは現在シリコンバレーでkakaxiという会社を運営しているみたいで、僕もシリコンバレーのど真ん中にいるのでそれは是非一度お会いしたい!人見知りで今から緊張してますけど、是非一エンジニアとして何かお手伝い出来ることはないかお話を聞かせていただきたい。人見知りで今から緊張してますけど、メンターやってたときみたいに頑張って明るい態度でいれればいいのですが。現在、大塚さんは日本にいらっしゃるみたいなので、まだ予定すらも決まってないのですが、メールをいただけるみたいです。
25 May 2017
今日は、コンピュータ・サイエンスの宿題するの忘れてました。今、夜中なのですが寝る前までには一日おくれになるけど出そうかと考えてます。ここ最近、本当に家を買いたい。「自分の家!自分の空間!」という場所がほしい。親戚の意向を完全に無視できるなら、今すぐ学校辞めて住みやすい町を探したい。都会がいいけど、あまり高いところには住めないから、程よい田舎じゃないとだめ。でも、日本は交通網が発達しているから全然だいじょうぶだろうとか毎日考えてる。なんせ家がほしい。エンジニアとして働けそうなところの候補を探したり、スーモで家を探したりしてる時間が楽しい。いや、わかってるんです。そういう身分ではないのです。人間は、高校中退者が親の高い金を使って留学して、半月でやめて日本で働き出すなんて非人道的なことは出来ないんですよね。ほんと学生向いてないんです。根暗の不真面目な性格の僕は本当に学生が向いてない。勉強は好きなんですよ。非生産的な宿題が嫌いなんです。おじさんが聞いたら「何を甘えたことを」と怒られますね、やめましょう。家がほしいといえば、結婚したい。相手は誰でもいいんです。自分のご飯は自分で作れます。自分の洗濯物は自分で洗えます。自分の生活費は自分で払います。誰かと結婚して、どこかに家を買い、人が少しでも快適・幸せになるような物を作り生計をたてる。今の僕の求める幸せはこれです。野望を捨てたい。余ったお金は世間にあげます。学歴は母・祖母にささげます。贅沢はいいません、僕の机がある部屋とおいしいご飯、読むべき本と話すべき人を僕にください。
24 May 2017
本日、日記を作りました。やろうやろうと思ってましたけど、なかなか面倒で出来ませんでした。別に毎日書くつもりはありませんが、基本的には僕の親戚のための日記もしくは、日々の開発・技術的な小さいことを書いてを書いていくつもりです。ついさっき、coffeescriptと言語のデビューしました。「男は黙ってPureなJavascriptを書くんだよ」。と考えてましたが。Railsをやってる人であるならば、それが対応しているcoffeescriptぐらいかけなければだめだと思い、Tech::Campの仕事で使ってみました。それがなんとも美しく惚れました。簡単に言ってしまえば、ObjectiveなJavascriptでしょうか。クラスの記述が時に綺麗だったので、すっかりお気に入り言語の一つになってしまいました。やりたいことや勉強したいことが多くて追いついてないですが、これからまだまだ「乾いたスポンジ」のように過ごしたいと思います(昔の塾の先生が僕を受験先の学校に売り込む時に言ってくれた言葉)。